さようならパトリック牧師

二日前、パトリック牧師が交通事故で亡くなりました。彼はウガンダで唯一同性愛者を公にしている牧師でした。

何度か海外で人権擁護者として表彰されたこともある方です。

わたしとも交流がありました。定期的に連絡が来る間柄でした。

わたしがケニアのLGBTI難民支援を始めたのは彼の影響が強かったのです。

彼はウガンダを愛しているので、最後まで戦うと言っていました。しかし、同時に難民になってウガンダを去っていく友人たちをとても心にとめていました。

彼が自分が同性愛者とはっきり自認したのは結婚した後でした。二人の子供が生まれましたが、妻とは離婚しました。

しかし、牧師だった父親や、母親は彼がゲイであることを受け入れました。ウガンダでは、非常に珍しいケースでした。

本人がHIVのことを気づいたことき、まずわたしに相談してくれました。わたしは、ウガンダでHIV支援をしている団体に彼をつないであげました。そこでカウンセリングを受けるための費用を支援したりしました。また、最愛の息子さんが突然死したときも共に悲しみました。

彼の父が亡くなったときもともに悲しみました。

彼は難民にはならず、地域のために働いていました。

貧しい家庭の子供たち、親がいない子供たちの施設で教師をしていました。

また、その施設に寄付する支援者を海外から集めるのに、同じLGBTのネットワークを使いました。

欧米のLGBTは彼の施設を支援しましたので、彼が学校教師仲間や、理事会で同性愛者であることで非難されることはありませんでした。

しかし、施設外の住人からは日常的に嫌がらせを受けていました。

”わたしは強い” 彼の口癖でした。

嫌がらせぐらいではひるみませんでした。

しかし、何度も同性愛者を嫌う住人から殴られました。

ところが、2018年以降、嫌がらせは少しエスカレートしていたようです。

2019年には、わたしにも警察からの暴力が絶えないと愚痴をこぼすようになりました。

つまり、住民に殴られた場合、警察に言っても、今度は、同性愛者だからという理由で警察からも殴られる頻度が増えてきたのです。

”もうここにはいられない”

最後までウガンダに残って戦うと言っていた彼もついに死の恐怖を感じるようになりました。

カナダのRainbow Railroadという民間支援団体のコーディネートでアルゼンチンに亡命することになりました。

しかし、ビザがクリアせず、エチオピアで足止めをくらってしまい、1か月ほど立ち往生したのに、ウガンダに戻っていました。

ウガンダでは2019年には3人ほどLGBTが殺害されています。

また、LGBTの逮捕は日常的です。

今回の交通事故の真相はわかりません。

パトリック牧師が天国で神様のもとで安らかにいることを祈ります。