主な活動内容

主な活動内容(2019年以降)

ケニアUNHCRに登録したLGBTI難民に対する経済支援、情報提供、欧米などのLGBTI難民支援組織との連携、LGBTI難民受け入れに関する基盤つくりを行っています。 特に、2017年から2018年まではカクマ難民キャンプのLGBTI難民を支援してきました。現在、ウガンダ人、ブルンジン人、コンゴ人、ルワンダ人の主なLGBTI難民は、ナイロビに移されています。まだカクマキャンプに残されたLGBTI難民がいますので、そちらの支援は、継続します。

 

カクマ難民キャンプには、ホモフォビックな難民が多く、LGBTIに対して日常的に暴力をふるっています。UNHCRを頼って逃げてきた彼らをUNHCRは保護できない状況になっています。そのため、UNHCRはカクマキャンプからナイロビの避難施設にLGBTI難民210人を運びました。

1.ナイロビで自活を目指すLGBTI難民グループ(RRCJがかかわっているのは6個の家)に対する生活支援、第三国定住プロセスが遅れている難民に関するUNHCRへ情報提供

2.LGBTI難民の治療費の支援、交通費支援

3.学校に行く機会を与えられていないLGBTI難民の子供たちに対する就学支援

4. HIV+の方への栄養支援

5.施設を出て自活に失敗した方のためのセーフハウスの運営

6.LGBTI難民受け入れ国拡大のためのアドボケイト

7.LGBTI難民受け入れ国のNGOへの難民情報提供

8 アメリカのLGBTI難民の専門弁護士Melanie Nathan への情報提供

9.国内LGBTI難民受け入れに向けた啓蒙活動
(難民製作の手芸品の販売、プレゼンなど)

10.明らかにLGBTI当事者で、母国で迫害されてきて、ケニアで難民生活を数年間続けているのに、UNHCRが第三国定住の面接を拒んでいる者について、UNHCRのLGBTI担当官に問い合わせのメールを送る

12.日本に来ているLGBTI難民に対する生活支援、入管面接に関するアドバイス。JARとの連携

 

現在、わたしたちが、運営しているナイロビ郊外のLGBTI難民のセーフハウスです。↓

https://www.facebook.com/Rainbow-Refugee-Program-Kenya-RRPK-2069143916499680/

セーフハウス代表LGBTI難民

Namala Bashir Erdin

wambash356@gmail.com

 

UNHCRがカクマからナイロビに移したLGBTI難民が住むkitalangaのtransit center のLGBTI難民代表

Graham Sonko

irsisdon1@gmail.com

https://www.facebook.com/pio.pat.5

LGBTI難民からRRCJへの連絡はwhatasappを使い常時100人近い方たちと連絡をとりあっています。

ナイロビでは各家ごとに収支関係を報告させていますので、足りないところに支援する形をとっています。

ナイロビではこのように家賃が安いスラム街に近い家に住んでいるLGBTI難民が多いです。

家賃が払えない方に援助しています。

家賃が安いこの地域にはLGBTI難民が多いことがある程度ケニア人住民に知られてしまっていますので、ゲイにとっては危険な地域です。何度かゲイを狙った暴行事件がありました。

緊急の治療費などを支援しています。

RRCJが全面支援しているニエリのセーフハウス。カクマキャンプのときからの難民の友人たちと、リクリエーションでケニア山に訪れました。

 

2019年10月現在、新たなLGBTI難民がカクマキャンプに増えてきてます。(ナイロビでの都市部難民登録は打ち切らています)

そのため、RRCJは、少しづつ、カクマキャンプのLGBTI難民支援に再びシフトしています。

 

ケニアのカクマ難民キャンプのLGBTI難民支援について(2018年12月まで)

200人以上の大きな集団のLGBIコミュニティーがkakuma 3地区にありました。

2009年以降、ウガンダ、ブルンジで同性愛者をより罰するようになり、LGBTI難民がカクマキャンプに集まるようになりました。2014年のウガンダの通称kill the gay bill により、数百人規模のLGBTI難民がウガンダからケニアUNHCRに助けを求めてきました。それがカクマキャンプのLGBTIコミュニティーの始まりでした。

 

わたしたちRRCJはナイロビで自活に失敗したLGBTI難民、つまり、カクマキャンプのLGBTIコミュニティーに注目しました。当時、欧米のLGBT当事者は、ナイロビのLGBTI難民を支援し、カクマキャンプの200人は見捨てられていたからです。当時の比率は300人がナイロビ、200人がカクマキャンプで、子持ちのレズビアン、障がい者はすべてカクマキャンプに送られていました。

カクマキャンプの他の難民は、ナイロビのケニア人よりホモフォビックで、常に、LGBTI難民に暴力を繰り返していました。

カクマキャンプはビジネスが許可されており、二世代にわたるスーダン人の難民には、お店をもったり学校に行く機会が与えられていました。しかし、LGBTI難民には、ビジネスのチャンスはなく、学校にも入れてもらえませんでした。他の難民が”呪われたゲイ”は出ていけと、石を投げつけてくるからです。頭を石で割られ、頭蓋骨を骨折し、失明した方もいます。ナイフで切られ30針以上縫った方、骨折させられた方もいます。レズビアンを異性愛者にさせようと、他の難民が彼女たちをレイプすることもしばしばありました。そのため、精神疾患をもつようになったレズビアンが数人いました。

カクマ警察は、ホモフォビックな他の難民が”正しいこと”をしたとし、暴力に加担し、カクマ警察からも暴行を受け、骨折させられた方もいます。

他の難民と比べ、LGBTI難民は、常に暴力を受け、経済的に困窮し、教育の機会も奪われていました。
RRCJはLGBTI難民について知ってもらうために日本では初めてのクラウドファンドを行いました。

小麦粉などが支援できました。

非常にUNHCRの配給食が減っている時期でしたのでそれを補うことができました。

当時LGBTI難民がUNHCR(WFP)からもらっていた一か月分の一人当たりの食糧はこれだけでした。

 

RRCJは他の難民が行っているような自立つまり小ビジネス支援も行いました。

パン屋、チャパティー屋、鶏小屋経営です。どれも他の難民は成功しています。

パン屋プロジェクトは、トランスジェンダーがパンを作っていると、周囲の難民に噂が広まり、”悪魔が作ったものなど食べられるか”と言われ、2か月で閉店となりました。作っているところは見られないように注意し、販売はレズビアンが行ったのですが、茂みの柵の間からトランスジェンダーが見られてしまったのです。とてもおいしいパンでした。

わたしたちは、発想の転換を行い、周囲のホモフォビックな難民たちと関わらずにできる自立支援を考えました。それが鶏小屋プロジェクトでした。常時100羽の鶏を飼うことに成功しました。実は、カクマは、鶏が耐えられる気温を上回ることがあり、温度が上がりにくい場所や構造のために苦心しました。

鶏は、市場で売れなくても、難民自身が食べられるし、とくにHIV+の方や子供たちに卵を食べてもらって栄養改善に貢献できました。鶏小屋は、2018年12月他の難民に、LGBTIのシェルターが完全に破壊される襲撃を受けるまで存続できました。

 

またRRCJは世界発の難民キャンプのレインボープライドのスポンサーでもありました。このニュースはBBCや、南アフリカのテレビニュースでも報道されました。PinkNewsなどLGBT関連のネットニュースでも当然取り上げられました。

当時カクマには、レインボーグッズは一つもなく、彼らが使用したレインボーグッズは、すべて日本から送ったものが使われました。レインボーグッズは絶望していた彼らにとても大きな希望をもたらしました。彼らは、母国でも、キャンプでも悪魔だと言われ、存在そのものを否定されていたからです。

 

 

レズビアンの子供たちはキャンプの学校に入ることを拒否され(6歳以上の子供もいました)、たとえ、親がレズビアンであることを隠して子供をいれても噂がひろまり、子供たちはいじめられました。

母国でも悪魔の子と呼ばれ、学校に入れてもらえず、難民キャンプでも悪魔の子と呼ばれ、学校に入れてもらえませんでした。

そのため、子供を教えることができるレズビアンが小さな学校をつくりました。

英語や、簡単な算数を教育しました。RRCJは椅子、紙や、筆記用具、歯ブラシなどを支援しました。

この日曜学校にはレズビアンの子供たち11人が通っていました。(うち一人はゲイの子供)教師は、理数系が得意だったレズビアンが担当しました。カクマキャンプの80人のレズビアンの難民のうち5人が母親でした。

世界で唯一のLGBTI難民のためのLGBTI難民による学校でした。

クリスマスに行う劇も練習していました。

LGBTI難民の子供たちにとって、ここが世界でたった一つの安心して学べる学校となりました。

レズビアンたちは母乳が少ない傾向があり、3歳以下の子供全員と、嚥下障害がある子供、HIV+の大人に粉ミルクを支給していました。これは2年間を通じて行っていました。

真夜中に他の難民が、LGBTI難民のシェルターをナイフで引き裂いて、侵入し、暴行するケースが絶えず、安心して眠ることができませんでした。そのため、RRCJは、ソーラーパネルと、電灯を各コンパウンドに設置しました。

他の難民は、毒蛇やサソリより恐ろしい存在でした。

 

また、kakuma3地区は低地にあるため、雨が降ると泥でトイレが埋まり、3メートル掘っても1年も持ちませんでした。そのため、トイレを他の場所に掘りなおしました。RRCJは二年で合計10以上のトイレを新しく作る支援をしました。このことは、雨季にトイレが溢れだし、コレラが蔓延することを防ぐことに貢献できました。コレラが蔓延しやすい時期は、薬用石鹸を支給しました。

雨季に風が強く、屋根が吹き飛ばされることもしばしばありました。UNHCRや、他のNGOでLGBTI難民のために修理してくれる人は誰もいませんでした。そのため、RRCJは、修理資材を調達し、LGBTI難民の中で修理できる人に頼んで修理をしてもらいました。

kakuma3 からIRCの病院までは遠く、二週間に一度、抗HIV薬をもらいに行くトランスジェンダーにとっては、非常に困難なことでした。トランスジェンダーは病院まで歩いて行く途中で高い確率で暴行を受けました。途中で暴行されるし、病院では、医師が差別し、トランスジェンダーは後回しにされて診察してもらえないこともあり、抗HIV薬をもらわずに、このまま死にたいというトランスジェンダーがいるほどでした。彼女たちが生きようと意思を持ってもらうために、多くの時間をチャットで費やしました。 RRCJはトランスジェンダーに限り、バイクタクシー(Boda boda)の交通費を支援してきました。ウガンダではトランスジェンダーは10歳くらいで退学されられ、親からも見捨てられるので、10代前半からセックスワークを余儀なくされます。わたしとハグしたりキスしたり一緒に寝たトランスジェンダー全員HIV+でした。一緒に料理したり服をプレゼントしあったりしました。

RRCJ代表のわたし自身、UNHCRから許可を得ていたにも関わらず、カクマキャンプでは、トランスジェンダーであることを理由にカクマ警察に逮捕される寸前の状態になりました。

カクマのケニア人難民局役人はLGBTI難民によくやるように、わたしに逮捕されたくなければ、賄賂を払えと要求してきました。

わたしは、LGBTI難民の友人たちに守られ、逃げることができました。

 

2018年12月、LGBTIコミュニティーは他の難民たちから大襲撃をうけ、フェンスはすべて破壊され、シェルターのプラスチックシートもはがされ、服や下着なども根こそぎ、すべて、他の難民たちに奪われました。

RRCJはすぐさま、フェンスの修理費用を支援し、修理を開始させました。かなりを短期間に修復させました。

その後LGBTI難民は、UNHCRはなぜ、守ってくれなかったのかと抗議を行いました。すると今度は、ケニア警察が、彼らを暴行しました。あわや失明するほどに警察に殴られ、他の難民からもナイフで切られ、20人以上のLGBTI難民が負傷しました。

この警察による暴行が、UNHCRジュネーブ本部に報告され、200人のLGBTI難民は、ナイロビに運ばれました。

そのため、現在カクマキャンプにいる数十人のLGBTI難民は、2019年以降に登録した難民です。