激動の12月のまとめ

11月26日のスーダン人20人によるLGBTIコミュニティーに対する襲撃による被害を訴えるビデオをわたしは、グラハムに作るように提案しました。彼は、うまくビデオで訴えることができました。その映像をジュネーブのUNHCR職員が見て、調査が入りました。カクマのUNHCR職員は、LGBTIを守っている努力をしていると言い訳をしていたつかの間、

カクマのUNHCR前で、レインボーの旗を持ち、平和を訴えていたLGBTI26人が、ケニア警察に暴行されました。(12月6日)一人は、あわや失明するほどで、足を縫うほどの暴行を受けたものもいました。ケニア警察は、暴行した証拠を隠滅するため、そこでスマホで撮影していた数人のスマホを没収しました。

しかし、カクマキャンプで、難民を撮影するNGOのFilmAidが偶然にもその様子を撮影していました。これが、UNHCRジュネーブ本部に取り上げられ、LGBTI難民は、カクマ難民キャンプでは、あまりにも危険すぎるという結論になりました。

12月下旬、UNHCRの大型バス3台を使って、210人の登録すみのLGBTI難民をナイロビの緊急避難施設に運ぶことになりました。

LGBTI難民は、ナイロビの移動前に、ツルカナ族の略奪にあい、ほとんどの服や、靴、テントのシートまであるものすべてを奪われてしまいました。

幸い、日本からの支援の鶏小屋には、鍵が掛けてあったので、鶏は奪われませんでした。それで、すべてを絞めてナイロビに行く前に肉を煮てたべることができました。資金も時間もなく、野菜も何も入っていない肉だけでした。(フェンスの製作に12月はすべての資金を使ってしまいました)