Rainbow Refugee Connection Japan (RRCJ)

 

一般社団法人Rainbow Refugee Connection Japan(RRCJ) は、LGBTI難民に特化した支援組織です。

*LGBTI難民/レインボー難民:”LGBTI”難民という表現は現在UNHCRが正式に使用している言葉として当団体においても起用しているものですが、私たちと致しましてはよりふさわしいと考えた表現、”レインボー難民”という言葉を掲げて活動しています。母国にSOGIが理由となる迫害を受ける状況、法律があり、母国から逃れてきた難民たちの総称です。(母国で迫害に遭ったケースだけでなく、紛争などの理由によって母国を逃れ辿りついた難民キャンプにて、SOGIが理由となる危険な状況を持つ方がLGBTI難民として認定される方々も含まれます。)

< レインボー難民 & RRCJ 紹介パンフ >

 

2018年11月7日に法人化しました。

東アフリカのLGBTI難民への経済支援、情報提供、LGBTI難民受け入れ国への連携事業などを行っています。国内では、LGBTI難民受け入れに向けた啓蒙活動を行っています。

<加入団体>

難民フォーラム

市民ネットワーク for TICAD

http://afri-can-ticad.org/member_01/

 

<活動実績>

2017年2月 虹ともアフリカという任意団体でスタート。

当時欧米のNGOからも一切支援が来ていなかったカクマ難民キャンプのLGBTI難民に、食糧支援、病院までの交通費の支援をはじめました。

2017年8月24日 UNHCRカクマのLGBTI担当官Samwel Okuteからわたしを正式にLGBTIコミュニティーの支援者として許可するメールをいただきました。

 

2017年8月31日 レディーフォーにて国内では初となるLGBTI難民へのクラウドファンディングを行いました。

https://readyfor.jp/projects/LGBTnanmin

2017年9月カクマ難民キャンプでLGBTIのために郵便局に私書箱を設置。

薬、応急処置道具、ライト、浄水器、レインボーの折鶴など継続的に送りました。(LGBTIコミュニティーは国連の病院まで片道歩いて3キロあったので、痛み止めだけでも日本から送ったものは、とても役に立ちました。)

2017年10月 ウーマンズウィークエンドにてケニアのLGBTI難民について講演

2017年11月 自立支援のためのベーカリープロジェクト。

2017年11月6日 Erasing 76 crimes.comでわたしたちの活動が掲載されました。

Food shortages, violence still plague LGBTI refugees

2017/12/01 エイズウィークにてケニアのLGBTI難民の現状について講演

https://nakano.keizai.biz/headline/1311/

 

2017/12/01  Erasing 76 crimes.com にカクマで初めてのトランスジェンダーデイに関してわたしたちの活動が掲載されました。

Kakuma refugees gain supporters, need more help

 

2018/05/07 ベルギーのニュースThe Rustin Times にわたしたちの活動が掲載されました。

Help needed in Kenya as LGBT refugees suffer continuous attacks with no help from the Government or Police.

 

2018年5月8日 Erasing 76 crimes.com にて、カクマのLGBTIコミュニティーを襲った大洪水(低地だったので)の復旧に関してのわたしたちの活動が掲載されました。

Flooding endangers LGBTI Ugandan refugees in Kenya

2018年6月 世界初の難民キャンプでのレインボーパレードのスポンサーとなりました。そこで使われたレインボーグッズ(旗、Tシャツメガネ)はすべて虹ともアフリカから送られたものです。

この様子は、BBC放送、南アフリカのニュースで放送されました。

ここで使われたレインボーグッズはすべてわたしたちが送ったものです。

世界初で最後となってしまった難民キャンプのレインボープライドに東京レインボープライドのTシャツと日本の浴衣を見ることができます。
彼らのための週便局の私書箱を確保していたのは、RRCJだけだったので、彼らに、必要なレインボーフラッグ、Tシャツ、浴衣を届けることができたのです。

https://www.gaystarnews.com/article/here-are-the-photos-from-the-first-pride-march-in-refugee-camp-in-kenya/#gs.qRhjApM2

https://www.afpbb.com/articles/-/3178949

(世界初の難民キャンプレインボープライドで東京レインボープライドのTシャツとメガネをつけたナマラバシールさん)

(世界初の難民キャンプレインボープライドで日本から送った浴衣を着てくれたシェリーさん)

2018年8月9日 Gaystarnews.comにて、わたしたちが行ってきた鶏小屋プロジェクト、パン屋プロジェクトが掲載されました。

2017~2018のカクマキャンプLGBTIの自立支援プロジェクトは、RRCJの支援によるものです。雛の買い付け、獣医との相談、鶏小屋の建設、毎月のエサ代すべてを賄いました。100羽の鶏を管理していました。2018年8月にはわたしはロドワーの獣医と会ってきました。

https://www.gaystarnews.com/article/lgbti-refugees-get-creative-to-survive-after-homophobic-violence-drove-them-out-of-work/#gs.5V3IeXEM

2018年8月 カクマ難民キャンプのLGBTI難民たちと会ってきました。彼らとともにキャンプ内で、迫害を経験しました。キャンプ内でもLGBTIであるという理由で、逮捕されると脅され、怯えながら生きることは、どのようなことなのか体験できました。非常にホモフォビックなケニア人キャンプマネージャーに苦戦しました。

アメリカ、ドイツ、ベルギー、オランダ、イギリスのLGBTI難民支援者たちと連携して、支援ができるようになってきました。

2018年11月8日 一般社団法人 Rainbow Refugee Connection Japan  設立

(法人の名前は、ナマラバシールさんがつけてくれました。支援者の中でも、わたしは、毎日LGBTI難民とチャットを続けてきたので、connection という言葉良いと思ったそうです。)

2018年11月23日 毎日新聞掲載

https://mainichi.jp/articles/20181123/ddl/k13/040/002000c?fbclid=IwAR0UG0Yw2QnedLpdHpmyOUiS9LPqJDGPXPZWcbLBkkrMar81QfB-Lbb7Xxo

2018年11月26日 東京エイズウィークにて写真家藤元敬二さんとトークイベントを行いました。(主催ぷれいす東京)

https://ptokyo.org/activities/data/10920?fbclid=IwAR2BkzLGXV8xpIoNm-aMpLtBGaqPxKaTRfzPdFN7L7u_n7JcBhiSdk4e34U


このときのイベントではたくさんの感想をいただきました。

2019年4月5日 紙面では報道していただいていた共同通信さんの記事がネット配信されました。わたしは、1時間ほど電話取材を受けました。RRSJが管理しているセーフハウスです。

https://this.kiji.is/486736476464661601?c=39546741839462401&fbclid=IwAR3BpZihfff56PFLSPOJEQo8fS2FcTX_Zm_N6nI93ynF9TvwL1VSl8UFkg8

愛媛新聞(共同通信)でRRCJが運営しているLGBTI難民セーフハウスが記事になりました

2019/08/09  ナイロビUNHCRで、LGBTI担当の代表のBurgiさんと、simonさんと話し合いました。主に、日本での第三国定住の可能性について話し合いました。
HIAS(もとはユダヤ人難民支援団体)のナイロビ代表のルーシーさんと、脆弱な難民の選び方について話し合いました。また、日本への第三国定住の可能性について話し合い、日本大使館宛の書簡を書いていただけました。
ナイロビ日本大使館にて、アフリカの経済ロスと、LGBTI迫害の関係、血縁主義と汚職、LGBTI迫害の相関性、LGBTI難民の現状についてお話させていただきました。

 

2019/08/26  TICAD アフリカ開発会議に、公式パートナー事業として参加しました。アフリカでのLGBTIに対する迫害は人権問題というだけでなく、経済成長を妨げる汚職問題との相関関係があることなども展示しました。LGBTI難民製作品を展示しました。

引き続き、パートナー事業として年末まで、アフリカのLGBTI難民についてアドボカシー事業を行います。

 

2019/09/19  赤旗新聞に掲載されました。

 

 

2019/10/05  東京新聞に掲載されました。

この取材の写真は、ナイロビのグラハムが住んでる集合住宅の屋上です。ここでそのあと、LGBTI難民でバレーボール経験者たちとバレーボールをしました。

 

2019/12/01   TICAD東京国際アフリカ開発会議の公式パートナー事業の一環として、LGBTI難民を考える会を実施しました。

2020/02/16  東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所にて講演を行いました。

 

2020/0 6  ナイロビでサポートしている3つのセーフハウスから動画でレインボープライドメッセージを作りました。

2020/06/20 Global Network of Rainbow Catholics に掲載されました。

Some Faces and Colours of Being a Refugee

 

2020/06/24~29    ATCR 第三国定住についてのUNHCRの会議にwebnior にて参加しました。

https://www.unhcr.org/annual-tripartite-consultations-resettlement.html

 

2020/09/02   政府にLGBTI難民を第三国定住プログラムに入れてほしいという要望を提出しました。

要望書

 

2020/10/28   上智大学総合グローバル学部国際関係ジェンダー論を学んでいる学生さんにLGBTI難民についてオンライン授業を行いました。

勉強会のテキストはウガンダの活動家Kashaが発行しているBanmbastic Magazine でした。

全部ではなかったのですが、学生さんが翻訳してくださり、LGBT特有の事情で訳が間違いやすいところなどを指摘しました。

42ページにわたしの写真が出ています。 2018年の最初で最後のレインボープライドに使われたレインボーフラッグ、東京レインボープライドのTシャツなどは日本から送ったものです。グッズに関してはRRCJのみが担当しました。

From Ann_Bombastic_Magazine_FifthEd_WEB_PDF

From-Ann_Bombastic_Magazine_FifthEd_WEB_PDF

Bombastic Magazine一部翻訳版

 

2021/05/03      東京レインボープライドのイベントとして、オーストリアでLGBT難民にカウンセリングされている方をお招きしてトークイベントを行いました。

2021/06/20   プライドハウス東京レガシー主催 LGBT難民の困窮を知るのゲストスピーカー

 

2021/06/20 世界難民の日 プライドハウス東京レガシーでの展示

 

2021/10

アメリカの難民支援団体ORAMの報告書の再配布と日本語訳の配布の許可をいただきました。カクマキャンプのLGBTI難民についての報告です。

ORAMの報告書

ORAMの報告書日本語訳

 

2022/4/24

東京レインボープライドにて、PRFK(ウガンダ人LGBT難民による)製作のエプロン、シャツなどを販売

2022年6月 台湾の人権博物館に登録されました。

https://fihrmap.nhrm.gov.tw/en-us/?g=mb_content&sid=141&fbclid=IwAR0EIICCIvRhI_E2N5-XAiVydQCdGueUAC9IU90GjRYKWhgT732I0jlcVzE

 

 

一般社団法人Rainbow Refugee Connection Japan

代表理事 嶋田聡美

東京都東久留米市中央町5−13−15

080-3310-8744

satomi@rainbowrefugeejapan.org

 

 


Satomi Shimada



ニューヨーク大学グローバルLGBTright講座終了

 

RRCJの登記簿とケニア大使館の認証

 

<<定款>>

RRCJ定款

<<パンフレット>>

レインボー難民 & RRCJ 紹介 パンフレット ダウンロード

RRCJの紹介 過去パンフレット ダウンロード

RRCJPDF

RRCJ TICADでの配布リーフレット

 

<<年次報告書>>

 

RRCJ年次報告2019

RRCJ年次報告2020

RRCJ年次報告2021

RRCJ年次報告2022

 

 

 

 

 

<<ケニア カクマキャンプ出身LGBTI難民のコンタクト先>>

Namala Bahir Eridin (元カクマキャンプLGBTIコミュニテーリーダー、UNHCR指定LGBTI難民代表)
wambash356@gmail.com

 

 

Namalaさんの生い立ちについて

ウガンダでイスラム教徒の家庭で生まれました。2歳のとき、母を亡くしたので母は覚えていませんが、叔母に育てられました。17歳のとき、彼がゲイだと親戚に知られてしまうまで、叔母を実の母だと信じていました。叔母は、”わたしは、ゲイなんて産まない”といい、叔母は、母でないことを知りました。そして家族から殺されそうになりました。6日間、ベッドに縛られ、わずかな水以外は、一切食事を与えられませんでした。運良く、近所の老人に助けられました。17歳で、キリスト教の養護施設に預けられました。そこで、キリスト教に改宗しました。高校卒業後、お店を経営することができましたが、ゲイであることをアウティングされ、仕事を失いました。ウガンダでは、LGBTIであることを知られると、仕事はなく、刑務所に入れられたり、ヘイトクライムによって、殺される場合があるので、難民となりました。