TICADのブースに貼ってある作品

本物は、わたしの職場に飾ってあります。TICADでは彼女の作品のコピーが貼ってあります。
わたしは、彼女が描いたこの絵を見て、彼女の気持ちすべてがわかった気がしました。彼女は、最年少のLGBTI難民当時12歳でカクマキャンプに来ました。そこで、レズビアンを狙った矯正レイプ(同性愛者を異性愛者にさせようとする意図があるレイプ)の被害をうけたのです。すぐ病院に運ばれ、妊娠しないようにする薬を得られたので、適切に処置されたはずでしたが。。。入院中、錯乱状態になり、真夜中に、病室を抜け出し、キャンプとロドワーの間のほとんど砂漠の道を歩きだしてしまったのです。
次の日、LGBTIコミュニティーじゅうで彼女を捜索しましたが、一日探して見つからず、捜索は次の日にしようと決まりました。ところが、グラハムだけは、24時間徹して捜索し、次の日の真夜中、キャンプから20キロ以上離れた場所で、うずくまって泣いている彼女を見つけたのです。グラハムは靴も持っていませんでした。ビーチサンダルで数十キロ歩き続けて捜索したのです。真夜中に彼から、彼女を見つけたと連絡が入ったときは、わたしも涙が止まりませんでした。。
わたしは、グラハムの家に泊まった時、わたしと一緒に寝たいというシェリーと、この子と3人で一つのマットレスで寝ました。3人で一つなので、狭かったはずですが、不思議と狭さを感じませんでした。
この子は、ナイロビに来て、精神的には落ち着いたのですが、吃音がひどく、どうしたらいいかと相談されました。わたしも吃音がひどかったけど、自分らしく生きられるようになったら治ってしまった。だから、心配しないでと話しました。
カクマには、当時、80人近くレズビアンがいましたが、年間数人は、矯正レイプの被害にあっていました。テントの中までソマリア人の男性たちが入ってきて、レズビアンをレイプ、暴行し、帰るときに、レズビアンは、地獄に行くべきだ、今度は、テントに火をつけて全員殺してやると怒鳴り散らした事件もありました。しばらく、レズビアンたちは、凍り付いて、眠れない日々が続いたときもありました。