ケニアLGBTI難民と生活記 その3

次の日は、まわれるだけたくさんの家をまわることにしました。

予定していたのは、11軒の難民の家です。HIASからの給付金をもらっているところもあれば、もらっていないところもあります。

洗濯屋さんの仕事などにありつけるレズビアンの難民はごくわずかで、ゲイ、トランスジェンダーは、まず、仕事がありません。

食糧不足で、本当に物乞いする場合もあります。LGBTI難民の人数はおおく、(ナイロビ市内に500人以上)、欧米の支援者とわたしたちだけでは、とうてい支えきれません。

手芸品を作って売ろうと試みるLGBTI難民は、以前から多いのですが、ケニア人が彼らの商品を買うことはほとんどなく、結局、材料代も、商品の購入も海外支援者が行うことになるので、材料代だけ、余計な寄付金となります。彼らの自活が目的なのに、結局のところ、寄付となってしまいます。

 

ナイロビは渋滞がひどく、11軒まわるのは無理で、近い家の難民をあわせて、待機してもらうことになりました。

チャムワンガの頭の怪我は、つい最近カクマキャンプで、スーダン人の難民から石打され殺されそうになったからです。

いまも、ケニア警察は、LGBTI難民を見つけると、刑務所か、カクマキャンプにどちらかに送ろうとしています。

カクマキャンプのレセプションセンターには、いまも、LGBTI難民が増え続けているのですが、キャンプ内に入ると殺される危険が高く、ナイロビに行くお金を支援されたとしても、ナイロビに家はなく、路上生活者で物乞いすることになります。

わたしは、何人かの路上生活者のLGBTI難民と会いました。

出来る限りのことはすると約束したものの、いかんせん、資金不足で、これ以上、家賃を払ってあげる家を増やすことはできないのが現状です。