二週間前から、UNHCR前で、またやってるのは知っていました。最初は、保護を求めたトランスが叩かれました。100人近く、抗議するLGBTI難民が集まっていました。抗議の内容は、新たに来たLGBTI難民を全くUNHCRは受け付けていないこと。(LGBTI難民だとまだ認められていない避難民を含めると、LGBTIの避難民は、合計800人近くかもしれません)また、6年以上待たされているのに、まったく、第三国定住の話がないLGBTI難民もいることが抗議の内容でした。
警察は、催涙弾を使いました。また、野宿していたLGBTIのマットレス、ブランケットを燃やしました。そしてまた、抗議の中心人物のモゼスなどに暴行しました。
下の記事の注目した点は、いままで、LGBTI難民がどんなに暴行されても、ケニアの一般のニュースには取り上げられませんでした。むしろ、BBCなど海外のニュースだけに報道されていました。今回は、まだ、LGBTI難民だと登録されていないせいか、車いすの難民まで暴行されたことがケニアのニュースにも同情的に書かれています。
ウガンダ時代からボーカルアクティビストとしてしられていたモゼスですが、カクマキャンプで最初にわたしとチャットし始めたときは、死をも恐れず戦うようになるとは思っていませんでした。最初のころは、毎日、カクマの悲惨な状況を嘆きながら、日本からしか支援がなかったので、わたしだけが愚痴を聞いてあげていました。(2017年ころ)
2018年の夏には、彼は、わたしが泊まっていたナイロビの安ホテルまで、来てくれました。とても、人当たりがよく、明るい方でした。二人の共通の知り合いのアルコール依存症のトランスが、アルコールによって、HIV+なので、かなり危険な状況になったときを思い出して、語り合いました。彼女は、今は元気です。
モゼスのお母さんが亡くなったときや、モゼスの兄弟が亡くなったとき、他の兄弟からもLGBTIだからという理由で疎遠になった話など、カクマにいたときは、リアルタイムで、聞いていました。
LGBTIの人権って何だろう? 日本人は、ここまで、リアルなストーンウォールの体験をしていない。でも、ここから学ぶものは大きいです。
モゼスとわたしは、2017年の2月ころからお友達ですが、2018年の夏にナイロビで会うことができました。
とても、朗らかな青年です。そんな彼をここまで駆り立てるのは、使命感です。見捨てられているLGBTI難民が他にもいるからです。