元気でKJ

わたしの息子?が巣立っていきました。
KJは、3年前、わたしと初めてチャットしたときから、わたしをママと呼んでいました。

それには、寂しかった子供時代、辛かったこと、たくさんの理由がありました。

扱いにくい子でしたが、根がとても優しい子でした。

カクマキャンプで彼とあったときは、いつの間にかわたしのとなりにいました。やや、ママと言って握手しました。
わたしが疲れていたのを気遣ってくれました。

カクマでは、スタッフに加わって、たびたび、病人の世話をしてくれました。ゲイの息子を守るために大やけどを負ったという女性の世話を献身的にしてくれました。
(自分の本当の母親がいたら良かったのにと思っていたでしょう)
普通、ウガンダ人の母親は、夫がゲイの息子に火をつけて殺そうとしても助けません。その母親は違ったので、彼にとっては理想の母親だったのでしょう。

ナイロビでは、給付金をもらっていない方たちと住んでいたため、人数オーバーで、警察に逮捕されそうになり、慌てて、新しい家の敷金、最初の家賃を支援してあげたりました。

彼は、最後までわたしのことをママと呼びました。
今、イギリスについたと連絡がありました。
第三国定住というUNHCRのシステムで正式な移民としてイギリスに渡れました。
LGBTI難民として、数年間、カクマとナイロビで過ごしました。