ORAMの報告書を読んで思うことがありました。
欧米の支援者たちもわたしもblock13とその他のブロックでのLGBTI難民同士の対立があることはだいぶ前から知っていましたが、触れたくない部分ではありました。しかしORAMの報告書ではそれなりにページ数をさいて報告されていました。
この問題は難民に限らず日本のLGBTコミュニティーにも言えることです。マイノリティー同士で足を引っ張りあって結果としてマジョリティーから抑圧されたままになってしまうのです。
わたしが思うポイントは、それが弱者同士の妬みからくるものではなく、当事者としての自己認識が他者を攻撃しないと維持できないほど弱くてもろいものかどうかからくるものではないかということです。
思い出してみましょう。
オーランドの銃乱射事件は子供がいて異性愛者として生きている同性愛者が同じ当事者を殺してしまった痛ましい事件です。
日本でもそのように生きている方は大勢いらっしゃると思いますが、それはそれで良いことになっていますので、当事者同士の暴力事件はほとんどありません。
しかし、ウガンダではどうか?
オーランドの事件のように、同性愛者として生きてはいけないと心の底からインプットされてしまっている同性愛者は、同じ当事者に攻撃的になるのです。
その場合、UNHCRから初めて同性愛者として生きる権利が自分にもあることを知らされると、過激な当事者運動に変わってしまう場合があるのだと思います。ウガンダですでに当事者運動の経験が長かった人は、他の難民との距離の取り方が上手いのですが、難民になって初めて当事者運動を始めたような人は、当事者運動に消極的な当事者を攻撃することで、自分の当事者としての自己認識を固めようとするのではないかとわたしは考えています。
幸い、オーランドの銃乱射事件の犯人ほど屈折した感情はなく、ウガンダ人当事者の場合、同じ当事者を口でののしることで自分の立ち位置を確立していくようです。
よくあるののしり方は、自分こそ本当の当事者でgenuineなLGBTI難民で、お前は偽物 fake なLGBTI 難民だろという言い方です。
block13のLGBTI難民は他のブロックのLGBTI難民をfakeだといい、他のブロックのLGBTI難民はblock13こそfakeだといい、支援者たちは頭を抱えています。
なぜこのような対立が、地理的に起こってしまったのか?
それはUNHCRがblock13にLGBTI難民を多く住まわせ、他の地域には少しづつ住まわせたからです。これにより、非当事者の難民は、LGBTIが多いblock13=LGBTIだと認識してしまいました。そのため、暴力を受ける確率がBlock13が格段に高く、その他のブロックでは低いという安全面の格差が生じてしまいました。
しかし安全面の格差から妬みが生じたわけではありません。
その他のブロックで安全に生きるには、LGBTIであることを隠さないといけないのです。他の難民が多いからです。そのため、LGBTIであることを隠して当事者運動に参加しないその他のブロックのLGBTI難民は、block13から見れば、fakeっぽく見えます。
逆に、その他のブロックから見ると、子供がいるゲイなど、ウガンダで異性愛者として生きてきた人たちが、Block13=LGBTIだと他の難民から思われて攻撃を受けることを利用しているように見えます。fakeの異性愛者の難民が同性愛者だから攻撃されたという実績をキャンプで作る目的で当事者運動をして他の難民を挑発しているように見えるのです。
一般に、子供がいるゲイ、子供がいるトランス女性はUNHCRからマンデートされるまでの年数がより長くなります。異性愛者としてウガンダで生きることが出来たのではないかと疑われるからです。しかし、キャンプ内で、他の難民からLGBTIだという理由で暴力を受けた場合、第三国定住させてもらえる根拠になります。そのような難民にとっては他のブロックから危険なblock13に住み替えることは、UNHCRから本当の当事者だと思ってもらえる確率が高くなるというメリットがあります。
UNHCRからLGBTI当事者であることを疑われていない難民はわざわざblock13に住むメリットがないので、その他のブロックに移ってひっそりしています。その人たちはおそらくウガンダで同性愛者だという理由で逮捕されたり、暴力を受けた確固たる証拠があるからなのでしょう。
一般にカクマキャンプでは、スーダン人がホモフォビア度が高く、コンゴ人はホモフォビア度が低いです。LGBTI難民の比率が高いblock13の周囲にはスーダン人が住み、LGBTI難民を点在させたその他のブロックにはコンゴ人が多いようです。安全の格差はそのような理由で生じています。
block13の問題については、多くのLGBTI難民がそれは”複雑な問題”だと答えます。
筆者も一当事者として考えさせられることが多いです。
参加する当事者が少ない青森県のレインボープライドに参加したら、もろに当事者だと思われてしまいます。非当事者も多く参加する東京レインボープライドに参加しても当事者として目立ちません。しかし、その東京でも杉田議員に対する抗議デモで鳥肌が立つほど心にのこる素晴らしい抗議スピーチをされた方が、ネットで非当事者から中傷され、落ち込んでいらっしゃったのを覚えています。
また日本のレインボープライドの創始者の南定四郎さんはお子さんがいる同性愛者でした。
https://www.outjapan.co.jp/pride_japan/news/2020/11/37.html
南定四郎さんの当時の心境は、今カクマ難民キャンプblock13で当事者運動をしている子供がいる同性愛者の方の心境に非常に近いのではないかと思います。
日本では”出る杭は打たれる”ですが、アフリカでは”出るLGBTは殺される”ような感覚です。
極端な反応をする人たちを観察していると日本の状況も見えてくる気がします。