シェリーと最後のお別れの挨拶をしました。わたし、ナイロビにいるんじゃないのに、ナイロビからシェリーを見送ってる気分でした。
彼女だけには、わたしの娘としてI love you を素直に言えます。彼女もI love you mama といいます。
彼女は、アフリカのトランスジェンダーの難民史上で最初で最後の性同一性障害の診断を受けてホルモン治療を受けた難民でした。ナイロビの女性内分泌科医が、診断し、女性ホルモンと男性ホルモンを押さえる薬を処方し、わたしが、一年間治療費を支払いました。その前は、日本から送った錠剤を二年間服用してました。彼女は、本当に、典型的な性同一性障がい者でした。 わたしは、彼女以外に、ホルモンを勧めた難民は、他に誰もいません。彼女の性自認は女性で小さいときから、一度もブレたことはありませんでした。
どんなに差別的なアフリカ人でも女性のコミュニティから女性として受け入れられてきました。
でもウガンダではとてもひどい経験をしました。
彼女の生い立ちは、今度の講演会でお話します。
ナイロビではずっと一緒に寝泊まりしてました。 カクマキャンプではわたしもトランスジェンダーであるという理由で逮捕状が出て警察から逃げ回っていたので、彼女に会えたのは奇跡でした。LGBTがたくさん集まったことを理由に全員逮捕されそうになり、慌てて逃げたので、短い時間しか会えず、キャンプに取り残された彼女は、三日くらい泣いていたそうです。
カナダでは到着した難民を暖かく迎えます。日本とは大違いです。