LGBTI難民の定義について

LGBTI難民の定義について非常に考えさせる出来事。興味がある方は、ぜひ読んでください。
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わたしは、エリザベスの家でKさんに一瞬にして興味をそそられ、最初に話し始めました。というのは、わたしより年上の男性だったからです。そして、見覚えがある。
彼は2002年に政治的難民としてカクマに来ました。ムセベニ政権に対抗したためです。ロースクールの学生で、高校教師、ジャーナリストでもありました。彼は、裁判なしに、ムセベニ政権下で拷問されたため、難民となったのです。
その先が、不思議なのです。
カクマでも、ムセベニ政権の仲間から嫌がらせや、暴力を受けました。そして、LGBTIコミュニティーに逃げ込んだのです。彼はゲイではありませんが、ウガンダでLGBTIの人権も擁護していたため、LGBTIコミュニティーは彼を守ったのです。
そのため、彼は、難民のケースを政治的難民から、LGBTI難民にケースを変える申請をUNHCRにしました。しかし、UNHCRは彼を特別に保護する約束はしていません。
ところが、珍しいことにあのカクマの警察が、彼は、政治犯として狙われているのでキャンプの中でも危険だと関係者に保護を求める手紙を書いて彼にわたしたのです。そのコピーをわたしはメールで受け取りました。
話は、それますが、アフリカの場合、兄弟にLGBTIがいると兄弟ごと村から追放されたり一緒に殺されそうになる場合があるので、兄弟で、LGBTI難民として、第三国定住させるケースがあります。(親がLGBTIの子供を殺そうとしたとき、それをかばった兄弟は、LGBTIとみなされます)
LGBTIコミュニティーが、ウガンダで人権擁護した”政治犯”を保護してきた場合、それは、兄弟のような関係でもあります。
実際、彼は、現在、ナイロビでLGBTIの家に住んでいるので、わたしと二度もあったのです。
二度目は、グラハムの家で、彼がわたしに悩み相談をしているとき、共同通信の記者も入ってきたので、記者の方も目撃しています。
彼から頼まれたのは、都市部難民の書類を出すようにUNHCRを説得して欲しいことと、カナダのRainbow Railroad の民間難民受け入れに推薦して欲しいということでした。