キャンプのスーダン人のゲイから相談を受けました。彼は欧米に行きたいと思わず、いつかスーダンをLGBTIに理解ある国にしたいという志がある子です。whatsappでチャットを続けて半年になります。
彼は、キャンプの看護師になれる学校に通っています。UNHCRだけにはカムアウトしましたが、親にも学校の生徒にもカムアウトしていません。にもかかわらず、最近、”なんでお前、ゲイなんかになれるんだ”と言われるようになりました。もう、学校を辞めたいと。。。
わたしは、”がんばれ、何も言わず、友達とは勉強の話ししかしないで、彼らが、あなたは、勉強しか興味がない人だと思って、ゲイだと詮索しなくなるまで耐えて待ちなさい”とアドバイスしました。とにかく、”資格を得ることは、LGBTIのためにアドボケイトするより大事なことだ”ともアドバイスしました。
彼は納得しました。
わたしも、14歳のとき、やはり同じように、クラスメイトから、ホモだ(当時は差別用語がふつう)と言われ、孤立しました。でも、耐えました。手に職をつければ、孤立しても生きていけると思ったからです。
その話を彼にすると納得しているようでした。
地球の裏側から、スーダンという砂漠のような場所の子にアドバイスするなんて、人生、貴重な経験ができるものです。
もし、LGBTIコミュニティーが崩壊しなかったら、彼とは、いつかカクマで会おうという約束をしていたのです。彼はカロベエイキャンプ(カクマキャンプの隣)に住んでいますが、カクマのLGBTIコミュニティーにも遊びに来たことがあったのです。
スーダンがもし、平和になったとしても、LGBTIに理解ある国なるには、相当な時間を要するでしょう。誰にもカムアウトできずに(カムアウトすると殺される場合があります)希望を持ち続けることは、砂漠に転がるたった一つの宝石のように感じます。